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ゆぎお専用萌え吐き捨て場
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やっとこさ文庫16、17巻読みまして
また海馬の印象が変わった様な気がする…
いや、変わったというか、また新たな一面が増えたというか
海馬だけに関わらずだけども

印象深かったものの一つとして、海馬の義父への感情 かな
「そこに理想とする家族像などなかった」
というセリフで
あー…海馬は義父である剛三郎に親子として愛されたかったんだな って思った
最初はきっと一生懸命親子としての関係を求めて
剛三郎に甘えようとしてたと思う
でも、日に日に虐待がエスカレートしていって
自分の望みは叶いそうにないと悟って
でも、やっぱり愛されたい、甘えたい気持ちは捨て切れなくて
それを抑制する為に生まれたのが 憎しみと怒りで…
この感情を剛三郎に抱く事で精神のバランスが取れたのかな って

剛三郎は自分の狂気に絶望してる良心がある人だったりして… 
軍需産業企業で命を奪う兵器など生産しているうちに
人としての心が失われてゆく自分が恐ろしくなって
でも、気づいた頃にはもう後戻りはできないぐらいの狂気が自分の中に巣くっていて
そんな時、子供ながらにちょこざいな真似を仕掛けてくる瀬人に出会い
自分の望む子に育ってくれると感じ
教育と称した虐待で、憎しみと怒りを植えつけさせながら
あらゆる能力を叩き込み 冷徹 残忍 有能な人間兵器を作り出す
そうして自分の敗北=死を誘った訳で
剛三郎の飛び降り自殺は自ら望んだ結果なのではと
誰かに自分を越えて貰わないと、自分ではどうしようもなかったのかなと…

その点は海馬も同じ道を辿っていたのかもしれないと思うのです
軍事産業を嫌っていたのにも関わらず
DEATH-Tでは命を奪いかねんアトラクションを作ったりしていた(城之内もいってた)
それはまさに狂気に侵されて我を失っていたからだと思うのです
義父、剛三郎のように…
そして、そんな海馬を越えて我を取り戻さんとしたのが遊戯であって… みたいな

海馬が年を重ねるごとに丸くなって
自分と剛三郎の共通点とか気づいたりして
思い返せば教育で得たものが今まで自分を救ってきたなとか思ったりして
少しずつ剛三郎と向き合っていって
そんな風に、憎しみ 怒りの怨念から開放されていけばいいな


長っ!!!!!

文章力無くて色々グダグダですが… こんな妄想をしたりしていました
かなり剛三郎を勘違いしているかもしれないが…
とりあえず
海馬が剛三郎に親子としての愛情を求めていたように
剛三郎も父親として瀬人を愛してやりたい気持ちがあったのかもしれない
が、甘えなど覚えさせては強い人間にはなれないと思い心を鬼にしていたのかな
最後の散り様は敗北=死の教えを
強く瀬人に植え付ける為の仕上げみたいなもんじゃないかな

なんつって思うわけです

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